濡れたTシャツ、そのままで。

コンビニに歩いて行った。

 

最近はタバコを置いてないところも多くて、1駅近く歩いてしまった。

 

小雨が降ってきて、ビニール袋が濡れた。アスファルトの匂いがする。

 

ぼっーとしながら、スチャダラパーを口ずさんでいるとある民家が目に入った。

 

樹齢100年はゆうにこえていそうな太い木が生えていた。葉っぱがまるで巨大なアフロのように電柱より高く空に続く。

 

手入れ大変だろうな。あまりしてなさそうだけど。

 

100年も生き続けるってどんな感覚なんだろうか。10分前、10日前と10年前が同じように感じられるんだろうか。記憶のアルバムみたいなものがあったら、そのアルバムにはきっと一定量の写真しか入れることができないんだろう。

 

日常の多くがアルバムの予選で敗退し、いつか忘れられてしまう。何気なく感じた気持ちとかどうでもいいようで忘れたくないものも。

 

きっとそのアルバムはそれ自体に価値があるんじゃなくて、そこに収まりきらなかった多くの写真たちによってかけがえのないものになるんだろう。

 

例えば、久しぶりに食べた納豆ご飯の美味しさとか。

 

ごちそうさまでした。